犬返し
刃(やいば)の上を歩くような、険しい道─。
それは犬返し。
斷崖(きりぎし)の上の細き道だ。
一歩足を踏み外せばそこは地獄。
深き谷底が口を開けて待っている。
それでも俺は、俺たちは、この道を駆け抜ける。
あたかも、いっしんに流れ落ちて行く激流のようにな。
だが俺たちが先へ急ぐのは、
己れが平らかな道に出るためじゃねえ。
道なき道を切り開き、
あの遙かなる地平へとつなげるためだ。
嗚呼、しかし、こんな犬返しにも桜は咲くんだ。
愛でることは葉わず、
ましてや手折ることなど思いもしねえが
瞼を閉じれば桜が咲き続ける。
─それだけでいい。
俺は行く。
前だけを見つめて。
人は、誰でもひとつの道しか走ることはできねえ。
俺たちの選んだ道は、引き返すことはもちろん、
立ち止まることだって許されねえ。
しかし、俺の目の前には尊(たっと)ぶべき仲間の背中がある。
そして俺の後ろには、
疾風(はやて)のようにあとをついて來る奴等がいる。
まるで、迷うことなく共に突き進んで行く獰猛な狼の群れのようにな。
この烈しき時代のうねり、それに押し流されぬため、抗うために、
俺たちは固くこの手を結んだ。
そして、魂をも結んで進むと決めたんだ。
嗚呼、この危うい日々も、ふと気づけば春は來る。
あの桜も散ると分かっていながら、繚亂と空を飾る。
その下を、俺たちはこの斷崖(きりぎし)の上を疾走(はし)る。
─たとえ二度と會えなくても、懐におまえの記憶をしまったまま…。
斷崖(きりぎし)に咲いた桜よ、
あんまりおまえが可憐に微笑むから、
俺も、こんな戯言(ざれごと)を語ってしまったのかもしれねえな。
しかし、今日を限りに、
俺の全ての想いは胸にしまう。
艶やかなおまえの面影。
生涯に一度の想い出。
たとえたまゆらでも、それだけでいい。
─俺は行く。
影さえも、殘さずに。